こんにちは、シンです。今日は村上春樹さんと柴田元幸さんの共著『本当の翻訳の話をしよう』を紹介します。
この本を要約すると
といった感じです。この本の見どころは何といっても、お二人の訳をお二人自身が解説する翻訳講座の部分です。たとえば、『華麗なるギャツビー』の冒頭
He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that という原文に対し、
父はそれ以上何も言わなかったが、僕たちはいつも、一見よそよそしいようでも並外れて深く思いを伝えあってきたので、きっといろんなことを父が言おうとしているのが僕にはわかった。
父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど、僕と父のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上に分かり合えるところがあった。だから、そこにはきっと見かけよりもずっと深い意味が込められているのだろうという察しはついた。
柴田訳はナチュラルかつ自然な訳、村上訳はより文意をくみ取った訳となります。同じ原文でも訳が違うのがおもしろいですね。こんな感じでお二人が訳文を解説していくスタイルです。
著書の中では柴田さんが村上さんの訳を読んだ時に『訳が生きている』『何がポイントなのかがわかる訳』と表現されているところがとても興味深かったです。
カポーティの名短編『無頭の鷹』では
A promise of rain had darkened the day since dawn, and a sky of bloated clouds blurred the five o’clock sunという描写を下記のように翻訳しています。
明け方から雨の気配があたりを暗くしていて、空に広がる膨れ上がった雲が五時の太陽を滲ませていた。
夜が明けた時から、いつ雨が降り出してもおかしくなさそうな暗い一日で、むっくりとした分厚い雲が空を覆い、午後五時の太陽を鈍く翳らせていた。
二人とも不気味な小説世界をよくとらえています。村上さんは柴田訳に対して『正確な訳がうらやましい』といっていたのに対し、柴田さんは『単語単位、センテンス単位の正確さはそんなに大事じゃない、少なくともそれがすべてじゃない』と返していて、面白いなと感じました。
翻訳小説が好きな方は、翻訳の裏側、翻訳者のこだわり・姿勢がわかってもっと好きになること間違いなしの一冊です。
これから翻訳小説を読んでみようという方は、アメリカ文学通のお二人がどんな本をどのように読んできたかが分かり、手にとって読んでみようと思うような一冊です。
ではではー
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